ホモ教師の罠へ
- by あきら at 8月17日(日)02時32分
- Number:0817023254 Length:5192 bytes
小学6年から見れば、中学生は大人と思っていた。これが大失敗であった。
中学1年など「まだまだ子ども」ということは担任の自宅での個人レッスンの時の担任の趣味に対しての体験で理解出来た。
中学1年の夏、苦手な英語塾に行っていたが、学校の2番煎じで効果があまりなかった。
親は、心配して担任が以前の学校で教え方が生徒を引き付けて、冗談を交えて授業をして、固くない英語授業で教え方が上手と聞いた
新任の20代後半の担任で英語教師に個人指導を依頼することにした。
公立だから、アルバイトになり一応禁止されているらしいが、学校からやや遠い校区外の担任の賃貸マンションで個人指導を取り付けることに承諾してくれた。
担任の同僚や、同級生に見られる心配はなかった。又、前任地の中学2年の男女をマンションで教えていることもあり安心していた。
時間は、夜や土曜の午後で自転車で通った。夜は親の送迎か自転車であった。
しばらくやさしく教えてもらい、教え方が上手で分りやすく成績は上がった。
秋の体育祭も終わり11月になっていた。
その頃不可思議なことがあった。
学校の英語の試験が返却された際、○×問題が解答した内容と違うような気がしたが、たいして気にもしなかった。
土曜といっても、開始と終了時間は決まってなく延長の日もあったが、別に不審なことはなく難解問題を解きほどき教えてくれるので、遅くなる日もあった。
(料金は延長時間はサービスしていたらしい)
11月のある土曜日、すぐに休憩時間にされお茶と菓子を食べている時、担任は言った。
「最近、試験が実際にあきら君が解答したのと違っていることに気づかないかい?」、僕は「そう言えば違っているような・・・」と返答したら、担任は「実はね、僕が○×の間違っていた所を時々書き直しているんだ。最も、ここの自宅で採点する時だけれどね」と言われ、
僕はびっくりして「なぜですか?」と尋ねた。担任はすぐに答えず「実は、これは来週の実力考査の問題だよ。見たいだろう」と尋ねられた。
誰でも、その事態になれば見たいに決まっている。
僕は、「はい。見せてもらえますか」と聞いたら担任は「2人だけの内緒だよ。他の中学の生徒にも見せたことはないからいいね」と念を押された。
問題を見せてもらえ「ラッキー」と思わずつぶやいた。
「じゃあ今日はこれをしよう」と来週の試験をやってしまい、間違いカ所も教えてくれた。
当然、翌週の試験は満点であった。
その週の土曜日に担任の自宅へ行った。担任は「よかったね」と言うので僕も「はいありがとうございます」と返答した。
担任は「次も見せるよ」と言うので応じてしまった。
実はこれらが、大きな罠であったことをこの日に知ってしまった。
トイレから出た。そこで、担任は「あきら君、本当に可愛い顔をして、体育祭でも日焼けせず色白だね」と言ったが得に驚きはその段階ではなかった。
「あきらちゃん(ちゃんは初めてだった)、実は僕はねぇ、君が大好きなんだ。担任に決まった時、中学1年はまだまだ子どもで可愛い男の子も大勢いるが、
あきらちゃんが僕の自宅の個人レッスンに来ると君のお母さんから頼まれた時、あきらちゃんの裸を見たいと計画したのだよ。
担任は「実はね、僕は可愛い男の子しか趣味はないんだ」「先生の頼みを聞いてくれる」と言われ、
『騙された、罠だったのか』とがく然とした。黙っていると「あきらちゃんもいい成績を取れたね」と言い出し、弱みもあり「はい分かりました」と答えるしかなかった。
担任は「じゃあ、今日はレッスンは終わろうね。こちらへ来て」と担任の寝室へ通された。
独身にしては、片付けもよくきれいな部屋だった。
「あきらちゃん、このベッドに横になろうね」と手を引っ張られてベッドに寝かされた。
暖房をしたので、もしや裸にされるのかと急に不安になった。
先生は、「あきらちゃん上を裸にしてね」と言われ、急に怖くなったがなすがまま自分で脱いだ。担任は「手を後ろに回すして」と言われ手は、形が付かないような太い紐で縛られた。
担任の手はついにズボンに来たが、手袋をしていたのは万一僕が親に打ち明けた場合の証拠の指紋を付けない為だったらしい。
まず、ベルトを外され、次にチャックを静に下げた。
僕は「もうダメだ」「でも怖い」と震え出した。
担任は尻の後ろに手を廻しやや乱暴にズボンとパンツを一気に脱がされた。
「恥ずかしぃー」「恥ずかしい所を見られた」と心臓が激しく高鳴り体は凍り付いた。
担任は、素っ裸の僕の体を撫ぜ「ああきれいだ」「何と可愛いのだろう」としだいに興奮し出した。
まだ、包茎で3月末生まれの僕にはあそこの毛も生えてなかった。
しかし、担任がペニスをいじり出すと、ものすごいくすぐったさの中ではあったが、すぐに勃起はしなかった。
男の子で包茎は、どうしても尿が残り強烈な尿臭があることは知っていた。
担任はニオイを嗅ぎ、ペニスは前後に振り「ほらあきらちゃんのチンチンはおしっこが残っているよ」と鼻を持って来てクンクンと嗅いでいた。
左右に振られ上からもまれ、剥かれ、ついに勃起してしまった。
「ああ、これがあきらちゃんの物か。僕が欲しい可愛いペニスだ」と興奮しながら
マスかき状態のピシトンを興奮しながら行ったが射精はなかった。
一体何時間経過したのだろう。僕は放心状態で天井を見ていた。
横で担任が悶えていた。見ると何とペニスの臭いを又嗅ぎながら自分のあれをオナッテいた。
しばらくして、精液が出たようでティッシュで処理していた。
もう終わりにして家に帰りたくなった。
担任は「あきらちゃん、今日はこれで最後だから腹ばいになって」と言われ従った。
担任はいきなり尻に指を入れ、何か布に汚れを塗る付けていた。
やっと終わり、紐を解かれて服を着た。
担任は、「お願いだ、今日あきらちゃんにしたことは、絶対に黙っていてくれるね」と哀願された。
僕の弱みから断れなかったので、内緒にしておくことにした。
これがきっかけで、やめることもできず、担任との関係は中学2年の秋まで求められた。
幸い肛門性交はなく、中学2年からは毛も生え、射精が始まったが先生の手により開始して、その後も先生の手で何度が射精してもらったこともあった。
試験の事前の漏洩を期待して、そのまま応じたが今あの先生はどこにいるのだろう。
ホモ教師の罠2回目
- by あきら at 10月25日(土)18時53分
- Number:1025185336 Length:9346 bytes
8月に過去の辛い体験を書いたあきらです。
中学1年の担任方での個人指導のホモ教師の罠の続きを報告します。
8月に体験報告を書いた頃、九州は大分県教育委員会での大規模な教員不正採用試験や不正昇進試験で、
ワイロとコネがまかり通っていた実態をネットやマスコミで知り、僕が担任の自宅で受けたホモ体験と置き換えてしまった。
なぜなら、まず大分県の不正も僕の場合も採点の加点があった。
又、コネも採用で必要であったらしく、大分県も僕も親しくなって互いに口外できないようになってしまった。
大分県の昇進試験では、事前に問題を教えたとの報道もあり、中学時代の僕に置き換えてしまっている。
本題に入ろう。
僕は、担任との関係を親にも言えず、英語の成績が当然上がったので「やめる」とも言えないまま担任に英語の個人指導を続けることとなった。
担任のホモ行為もエスカレートして行き、その代り英語の試験の漏洩は毎度のこととなった。試験前は試験内容を教えてくれる上、解答の書き方が課題であった。
但し担任も「あきらちゃん、100点はまずいので、誰でも間違うここらを間違って95点位にしてね」との指導もあった。よく考えたものである。
性被害は塾では遅くなった時や疲れている日以外は必ず簡単でも猥褻なことをされる日が多くなった。
中学1年でも、あと僅かで小学6年と変わらない早生まれで、担任は「ああ可愛い。小学生のような君が弟ならよかった」と時々つぶやいた。
ただ、12才の僕にとっては、正直言って恐怖と異様な羞恥心はいつも脳裏から消えることはなかった。
いくら相手が教師でも大人からのホモ行為であった。
ホモ行為時はいつも素っ裸ではなく、下半身のみ裸も多かった。
男の子で他人から性器を無理に見られた体験者は日常茶飯時であるようだ。しかし、どの子も恐怖に震え恥ずかしさで声も出ないと聞いた。
僕は、担任に何度脱がされても、やはり恐怖と羞恥心の中での体験は弱みを握られたので、逃げることができなくなっていた。
いつも必ず後手に縛られる、これだけでも恐怖であるが、ベッドの上でベルトを外され、チャックを下されて、ズボンとパンツを一気に脱がされた時の体験は何度受けても平気にはなれなかった。
「怖い・恥ずかしい」「親にも最近見せない部分を担任から密室で見られ、いつも同じであったが、さらに恥ずかしくなったのは、その日、下着はトランクスであったが、体育授業のある日は「まれに白ブリーフ・白ボクサー型」も穿いていたまま脱がされた日もあったが気にもとめては無かった。
母親の考慮からか、ブリーフでも黄ばみが見えにくいグレーが多かったが、まだ小学校時代からの白も穿いていた。
そう、まさか担任があの要求をするまでは、担任に脱がされても興味は僕の性器や体、まれに肛門(指を入れられただけ)が主体と思っていた。
まさか男の子のパンツまでも興味を持っていると分かったのは、性器をさんざん弄られた後だった。
恐怖の猥褻が終わって紐を解いてくれた後、パンツを穿こうとした。と、その時担任は、いやなことを言った。
「あきらちゃん、本当に好きだよ。可愛いね。実は僕の願を聞いてくれないかなぁ」とつぶやいた。
僕は「何ですか」と尋ねると、担任は「あきらちゃんは気が付いてないのかなぁ、君は時々白のパンツを穿いているね。いつもおしっこで黄色になっているのをあきらちゃんは知らないの」と言いだした。
僕はいくら何でも腹がたった。当然だ。包茎で前の晩に穿き変えた後、まる1日が経過しようとした時間だ。日に何回か放尿し冬は尿が近かったので、汚れていることは知っていた。ちなみに包茎だったので、3回の放尿で黄色になっていた。
「はい。知っています」と返答した。担任は「可愛いあきらちゃんにお願いがあるんだ」と言い、続いてどこからか少年用の白ブリーフを持って来た。
そして僕に「このパンツは小学校6年から中学1年生用だが、あきらちゃん位用なので、2日穿いてくれないかなぁ」「お願いだから」と哀願された。
僕は「でも、母が見つけたら・・・・」と言いかけたら遮り、「君は1人で風呂に入るのかな」と聞いて来たので、僕は「はい1人です」と返答した。
担任は「じゃあ、大丈夫だよ。辛いかもしれないが、一番下にこれを穿いて欲しい。その上に君のを穿いたらお母さんには分からないよ」「実は前から時々、白のパンツのその日脱がせたら黄色になった部分に目が行き、欲しくなったんだ。頼むよ」と重ねて哀願された。
実は君のことを忘れないようにこのパンツを穿いて2日後に持って来てくれると有難いのだが・・・穿いてくれたら明後日、なぜ先生が可愛い君のような男の子に興味を持ち出したのか説明するよ」と哀願されたので、応じてしまった。
確かに担任がなぜ、男に興味があるのか知りたいこともあった」。
2日間下に穿き、その上に自分のトランクスを穿きやや窮屈であったが、最初の一夜で見事に黄色に汚したので、2日目は相当黄色に汚していた。
2日目は土曜日の午後であった。
いつも通りに英語を習い、終わった。
お茶と菓子を貰いトイレに行って帰ったら、担任は、「ベッドに行こう」と言った。又、あのいやなことかと覚悟はした。その日は2月で暖房をしていたので寒くはなかったが、
担任は「今日は時間がたっぷりあるよ、上は脱いでね」と言われ従った。すぐ縛られて、例のようにズボンとパンツを脱がされたが、その日は担任に依頼されて2日穿いた白ブリーフとその上のトランクスを激しく脱がされた。
その時、担任の顔は教師ではなく、変態男の不気味さが一瞬見えた。
担任は「ありがとう。あきらちゃんの臭いを戴いたよ。この白のパンツは黒のビニールに密封して6枚重ねで保存したら臭いは何年も消えないよ」と丁寧にどこかへ持って行った。辛かったと同時に弱みを握られて、今さら誰にも言えない悔しさで一杯だった。
その後は、さんざん弄られて勃起もすぐにした。
30分も続いた後、ようやくやめてくれた。その日担任は、僕の前に他の男の子に同じことを繰り返した様な発言もしたが真意は分からないままだ。
その後、コーヒーとケーキを出してくれて担任は話し出した。
驚愕する内容だった。
なぜ、担任が男の子にしか興味がないのか教えてくれた。
担任によると男の子に興味を持ち出したのは、小6の新入生の歓迎遠足がきっかけとのことであった。担任の父親は某有名私学の教授で、担任はその大学の付属小学校へ行ったことは以前から聞いていた。
担任が小6の時、入学したばかりの小1で『ものすごい可愛いアメリカ人の男の子が入学した』と女子の間で話が広まり出し可愛いらしい小1男子がいたことは耳にしていたが、男にとっては別に関心もなかった。
それまでは、担任によると通常の男の子で気の合う男子・女子と家を互いに行ききしていた、ごく普通の小6男子であった。
しかし、歓迎遠足の担当の小1の男の子は確かに女子が騒ぐ可愛い男の子であった。男から見てらごく普通に「可愛らしい子」と思ったが女子がよって来て先生に注意をされる程の可愛い子だった。
担任には当時小3の妹がいて、兄妹で電車通学をしていて時々帰りに途中下車して塾にも行っていたとのことである。その小1も同じ電車通学であったらしい。その小1は、スクールバスもあったが、遠方廻りになるので時間がかかり電車通学をしていたらしい。
ところが、その子が時々登校時に「おにいちゃん、おはようございます」と声をかけて来て、担任も悪い気ははせず「おはよう、ここも空いているよ」と、妹は同級生と一緒で別の席に行くので、登校中はその子を含み小1から小2の低学年男女が担任の側に座るようになったらしい。
その子が横に座る日も多くなぜか体が触れ合うだけで、いつの間かその子にのみ不思議な感情が出て来た。
付属小は1年中、短い半ズボンであり、その小1の又下の半ズボンの長く白の足にしだいに見とれることも多くなった。
なぜその小1が担任になついたのかは、やはり優しく対応し、降車した後学校まで小さな手を引き一緒に行き楽しかったらしいが、担任自身さえ未だに分からないままと言った。
付属小学校も、低学年と高学年は全く別の階であり高学年の教室は4階にあり、低学年は2階だったと聞いた。
低学年が上に来ることはまれであったが、高学年も低学年の教室前を通過せずに階段を上下するので、低学年のトイレを使うこともなかったが禁止はされていなかった。
担任は、グラウンドに用があり、向かっていたが尿意をもようしたが2階の低学年用に入った。
放尿中に例の可愛らしい男の子が入って来た。
その子は、顔見しりの小6を見て、ニコニコして可愛い笑顔で担任の横で放尿を開始したらしい。
その時、担任はその可愛い小1の性器を見てしまい、小さい物に見とれて可愛らしい顔も見て、勃起してしまい射精こそなかったものの快感が下半身を包んでしまった体験を話した。
(その話を聞いた段階で、僕にはまだ体験したことがなかったので、何を意味するのかは知らなかったがその後担任から教えてもらった)。
その子は英語が得意で、やや言葉が丁寧と思っていたら、話をしていると「日系アメリカ人で父親は同じ大学の客員教授であった」が、その時女子が言っていた「アメリカ人の子」との意味が分かった。
担任はアメリカ人といえばつい白人を想像していたらしいが、東洋人も多いということを知ったとのことであった。
父親が勤務している大学付属小学校に在籍したらしいことも判明した。
日本生活も長く、両親・姉がいて日本語が得意で幼稚園も日本の幼稚園を卒園し、日本語も上手にマスターしたらしい。
そのまま担任は付属中学へ進み時々、電車内でその子に日本の子ども向けの楽しい話をしたりしていたとのことである。
但し、中1の1学期だけまでであったとのことである。
理由
中1の7月に小2のその子は、「僕はパパが9月からアメリカの大学で先生をするので、7月の終わりにアメリカに帰ることになったよ。さびしいな」と聞き、担任は驚き「さびしくなるね。アメリカのどこ」と聞いたら、その小2は「カリフォルニア州だよ」と答えた。
「お兄ちゃんから優しくしてもらい、ありがとうございます」と言われた。その時、何かショックを受け、「もう会えない」「あの可愛らしい子がいなくなる」と急にその小2のアメリカ少年が近くにいてもらいたい。との感情がそのままその幼い小2に対し性的感情になってしまった。
その夜、その小2一家が訪ねてきて、菓子を持って持参し丁寧に流調な日本語で「子どもを登校中に守ってくれて、さらに楽しい思い出を作ってくれてありがとうございます」と礼を言って去って行った。
翌日からは、電車から姿を消したが、なぜか、その小2を忘れられずにいつの間にか、幼い少年に興味を抱き、対象は中学2年まで対象とするようになってしまった。と過去の体験を話した。
担任は、「いくら同じ電車でも、歓迎遠足で担当をしなかったら、自分はショタと呼ばれるホモにはなっていなかった。と聞かされた。
そして、あの子もアメリカ人の20代の若者になっているだろう。
戦争などに行って戦死してなければ、どこにいるのだろう。あの広いアメリカのどこかにいると思うが一生再会はできないだろう。
だが、再会しない方がいい。僕の頭の中では彼はまだ幼い小1から小2の少年のままだよと悲しそうな顔になってしまった。
ホモ教師の罠3
- by あきら at 5月4日(月)15時58分
- Number:0504155801 Length:4280 bytes
もう5月だ。
僕がホモ(ショタ)教師から英語の個人指導を受け出して、英語の成績は
かなりよくなった。
当然だ。
事前に試験内容が分かっていて、個人指導時間はその回答の暗記が主な日も定期的で
間違えたカ所は、特別に覚えかなりの成績向上となった。
だが、1回目からの通り代償は僕の体であった。
3月生まれの僕は、私服であればまだ小学6年でも通用した。
しかし、あくまでも中学1年であることには変わりはなかった。
中学1年の3学期になって、英語の成績は抜群であっても陰毛はまだなく、
精通もまだであった。勿論、ペニスは小学生と変わらぬ包茎のままであった。
中学1年の3月の個人指導の日は、試験の前であり既に作成済の試験を覚えることもあり
担任は、「今週は特別に1日増やそう」と言いだした。親は「熱心なことね」と感激していたが、
僕には、いつもの定例の行為と思っていた。完全に罠に入り弱みを握られて拒否できない状態になっていた。
土曜の夜に設定されたその日は、親に担任は「終われば僕が車で送ります」と遅くなっても
安心させて行為に臨むようであった。
担任の自宅に行って「少し英語をしよう」と僕に言いだした。
僕「はい」
担任「期末の問題と答案だよ」と担任の自宅に持ち帰っていた試験問題を再度確認できたが、
僕は担任に「ありがとうございました」と礼を述べた。
ここで、お茶を出してくれた。2人でお茶を飲みながら担任が言いだした。
担任「ところで、君はどうしてそのように可愛らしいのかな。
君もいずれは大人になり社会人になって、家庭を築く。赤ん坊も生まれる」。
「あきらちゃんに初めて聞くが、あきらちゃんの赤ん坊は君のように天使のような可愛い子だねきっと」。
僕は答えようがなかった。恥ずかしそうにしていると担任は、言いだした。
担任「あきらちゃんももうすぐ13歳だね。もうオナニーはやっているのかな。
僕は12歳から射精があった。あきらちゃんはどうかな。いきなり恥ずかしいかな」。
僕「まだです」
担任「オナニーは知っているね」
僕「はい知ってます」
担任「今日、僕がしてあげるよ。といきなり手を握られて和室に連れて行かれた。
既に布団を敷いていて、部屋は暖房が効いていて暖かくしてあった。
横に紐とティッシュ、ナイフ、ゴミ箱が用意されていた。
担任「あきらちゃん、今日は素っ裸になろうよ。上は自分で脱いでくれるかな」
僕は、いやな気はしなかった。すぐに上半身は裸になった。以前にも素っ裸にされて
イタズラを担任にされたことはあったが、圧倒的に下半身のみが多かった。
上を脱ぐと、毎度の後手に縛られた。この時だけは恐怖であったがもう一連の流れの中と
慣れていた。
担任「布団に寝て」僕は仰向けに寝た。しだいに担任が興奮してきた。
僕は、いつものようにベルトを外され、チャックを下げられた。担任の手が尻の下に来た時は
何回たっても強烈な恐怖は変わらなかった。しだいにズボンとトランクスパンツを下げられた時は
いつも羞恥心は消えなかった。
担任のイタズラはコース料理のようであった。
1、まずペニスを弄る。
2、いつも弄られたら激しく勃起してしまっていて、その日も同じであった。
3、そして、臭いを楽しそうに嗅ぐ。
4、パンツの汚れは柄入りであり、染みの臭いは見えないものの楽しそうにパンツも臭われた。
この日違ったのは、睾丸を弄りながら担任は「ここはあきらちゃんの命の源だよ」と言われ
「13歳であれば、もう出るかも」といつもより睾丸を握っていた。
担任「今日は記念する日になるかも」。と勃起したままのペニスを上下に激しくにピストン運動をされた。
暫くしていると『あっ』と思った瞬間、ペニスを中心に尻から足の付け根、
腰、下腹部に経験したことのない快感が走った。担任の手に僕の精子が付いた。
担任「おお、あきらちゃんも射精が出来たよ」とティッシュで丁寧に拭いてくれた。
量は少なかったが、担任の手により射精が開始された。
その日は、その後SEXの話を聞かされ担任は、最初は自分の体験を語り
「小学6年の春に歓迎遠足の時に面倒を見た日系アメリカ人の小1のペニスをトイレで見たので、
その子が余りにも可愛かったので、その子の見たペニスを思い出しながら秋からオナニーを始めた」。
「今は、君を筆頭に何人かの可愛らしい小中学生を思い出しながらオナニーをやっている」。
と話した。つまり、僕は可愛かった上、性格が担任に気に入られオナペットにされてしまっていたが、
担任は、丁度母が依頼した個人指導を利用してお気に入りの僕のプライベートゾーンを「試験を事前に教える」という
弱みを最初に工作して、僕の体を弄ぶという罠にはまってしまった。
おまけに担任が用意したパンツまで尿で染みを付け返すという、かなりの少年愛の被害体験は誰にも言えず、
担任からの性的イタズラは、中学2年の3月まで続いた。
その後、担任は他市へ移動となった。
多分、一生涯あの2年に及ぶ体験は脳裏から消え去ることは不可能だ。
僕の担任のように巧妙な罠を仕掛けていて「引き換え条件で誰にも言えない状態」に持って行き
性を弄ばれた体験は、その後僕自身が男の子に関心を抱くきっかけとなってしまった。
ホモ教師の罠4
- by あきら at 6月14日(日)19時57分
- Number:0614195727 Length:3903 bytes
中1の衝撃的な体験は終わり春休みになった。
英語の成績は、抜群になっていた。中1の時の担任は喜び機嫌がよかった。
個人指導は、その後も継続した。
ある日、担任はショタになるきっかけとなった
日系アメリカ人の男の子の写真を見せてくれた。
歓迎遠足の時の小6と小1が一緒に写された写真であった。
担任の言う通り僕が見ても『可愛いすぎる男の子』であった。
そう天使のような雰囲気の少年であった。
聡明相で笑顔の顔、やさしそうな態度、すらりとした足とスタイル、
子役でも通用しそうな男児であった。
中1時代に担任にオナを教えてもらい、時々自分でもやっていたが、
担任のテクニックは見事であった。
間もなく中2になる前の春休みの塾のことである。
授業が終わり、担任は言い出した。
担任「僕はよくマスタベーションをやる。言うまでもなくあきらちゃんを思い、写真を見て
あきらちゃんのおしっこで黄色に汚れたパンツを臭いながら行う時もあるよ。
でも、あきらちゃんを思うだけで快感になるよ。
あきらちゃんは僕にとっての『オナペット』と言うのだよ。
でもねぇ、あきらちゃんだけではないよ。
教師という仕事だから、男の子の写真はいくらでもあるよ。
可愛い男の子を見ては、オナニーをやっているよ。
可愛い子は、目立つがあきらちゃんは特別に目立つよ。
やはり学年で1、2番だね」と言いながら、
「実は、僕がショタになるきっかけとなった当時小1の幼い少年も時に
思いながら行う」とのことであった。
担任「今日は、家に電話して1年の時に苦手な部分の復習をやるので
遅くなると言ってくれないかなぁ」と依頼があった。
もう断ることは出来ず、自宅にその通りの電話をした。
担任から「寝部に行って」との毎度の行為の依頼があり奥の寝部へ行った。
担任「もうすぐ2年だね。ベッドに寝てね」と依頼があり応じた。
担任「今日は、SMごっこをするよ」と不気味な雰囲気であった。
僕はさすがに恐怖を感じたが、どうすることも出来なかった。
担任は、「紐で縛るよ」といつも必ず縛られた。
ズボン、パンツと担任の手で脱がされたが、中2前となると急激に羞恥心が増えた。
まだ毛はなかったが、生える寸前だった。
相変わらずのコースと思っていたら、担任はいつも最後に紐を切る為のナイフを手にした。
まさか、何をするのだろうと震えていたら
担任は「あきらちゃん、ここ(睾丸)を全部切り落とし、次にこのペニスを
切る夢を見たのだよ。下半身は血の噴水のようだった。
心配しないで、あきらちゃんでじゃあないよ。
街で見たあきらちゃんより幼いとても可愛い小学生が夢に出てね。
昔、そのような事件があったらしいが知っている?」と聞かれ、
当然知らないので「知りません」と返答した。
担任は「僕も知らなかったが、ネットによると昭和38年頃日本で小学生の男の子が
全部切られたらしい」とかなり詳しかった。
担任は「心配しないで、真似をさせて」とナイフを陰のうの下に持って来た。
さすがに、そのままナイフが進めば終わりである。動かない様に静にしていた。
そして、ペニスを手にした。付け根付近にネイフを付けた。
さすがに、生きた心地がしなかった。勿論、真似だけであった。
次ぎに
担任「あきらちゃん、怖い思いをしたね。もう少し頼む」
担任「腹這いになって」と言われ縛られたまま腹這いになった。
ここで中1の時、まれに肛門に指を入れられたことがあったが
尻をまじまじと見られ、肛門を開かれた。
担任は「あきらちゃんのお尻は洗っているね、ウンチを拭く子と洗っている子は
臭えばすぐに分かるよ。先生の本音はこのお尻に先生のち○ちんを入れたいのだよ。
実はあきらちゃんは知らないと思う。
肛門に男がおちん○んを入れる事件があるよ。
一番、被害が多いのはあきらちゃんのように可愛い男の子が一番らしいよ」
と肛門を指で開いたり、弄り、尻を手でなぜられたが本当に恥ずかしかった。
この後は、いつもの変態コースであったが、とにかくペニスを見られることを中心に
最初のズボンとパンツを脱がされた時の恥ずかしさは、
体験者以外には分かってもらえないであろう。
でも、最初の弱みがかなりエスカレートしたのは致し方ない。
1、性器を見られ
2、いつも夕方なので、小便で汚れたパンツを臭われ
3、弄られ
4、包茎だったので小便臭かったが、その臭いをしつこく嗅がれ
5、勃起したらピストンでオナの様なことをされ
6、皮を剥かれ
7、睾丸を弄られ
8、まれに肛門を弄られ
男の子でも屈辱の行為だけでなく、SMの演技までエスカレートされた。
その日はそれで終わったが、当分解放は無理であることは分かっていた。
しだいに中学生の体になって来つつあったので羞恥心が特別に感じられた。
ホモ教師の罠5
- by あきら at 9月27日(日)17時06分
- Number:0927170645 Length:5096 bytes
中学1年の春休みも終わりになったが、3月生まれの僕の性器は
小学生の性器と同じ小さな姿で、かすかな射精こそあったものの
まだ無毛であった。
僕は、最初に書いた通り担任から答案用紙を意図的に変更したことに始まり、
個人指導の中で事前に先の試験を教えてもらうという
性虐待の「罠」にかかってしまった。
担任方での個人指導により英語の成績がアップしたことは述べた通りである。
僕の体は、その代償として担任の性欲の犠牲になった。
だが、英語指導はよく分かり易く指導してくれて、体をもてあそばれたのは
英語指導の後であったことはいうまでもない。
1回目に弄ばれた時、逃げ帰り親に報告していれば、
親は多分、警察に被害届を出していたかもしれないが微妙な範囲である。
しかし、完全な弱みを握られて2人だけの密室での行為で、担任が警察で事情聴取されても、
証拠はなくせいぜい、僕のズボン、ベルト、下着に付着した担任の指紋が決めて
であろう。
又、担任は否定するであろうしだ、警察に全てを離す等、到底不可能であった。
さらに担任は、容疑があっても僕が学校で話題になる上、
大人になっても同級生やその親の語り話になってしまうだろう。
だから、僕のうかつさを後悔しても遅く、延々と担任の性のおもちゃに
されることになった。
多分被害は一生涯忘れることはできない。
だが、あの時被害を公にして、大恥を一生涯語り続けられるよりは、
僕が黙っていたら
そのまま終わるので、「凌辱」「恥ずかしさ」「恐怖」を耐えることにした。
だから、今ここに書くことにした。
中学2年になった。
まさかと思っていたら、又、担任が代わってなかった。
何人かの生徒も変わってなかったが、1年の時の1割程度であった。
変わらなかった男子を見たら、なるほど可愛い顔の子のみであった。
女子も可愛らしい子と英語が得意な子のみ変っていなかったが、
担任の意思は疑いを持たれない為だったのであろうか。計り知ることは出来ない。
まだ親は全く性被害に気付かず、2年も引き続き担任方での個人指導を続けることになった。
最も、担任が代わっても個人指導は同じく習いに行くことになっていたであろう。
英語の成績は学年でトップクラスになっていたが、僕の体の代償と考えた時は
情けない思いもした。
ここで4月のある日、担任は個人指導の後のお茶の時、
又、1年の時の白ブリーフの話題を持ち出した。
担任:「去年は白のパンツを有難う」
「僕が君位の時は、まだ皆白ブリーフ全盛で今のような、トランクスや
ボクサーパンツは無かったよ。
洗濯の時、下洗いを母親がしても黄色の染みが取れなくても平気で穿いていた。
あきらちゃん、悪いが白ブリーフを又買ったのだが、去年のようにあきらちゃんが
穿いてくれないかなぁ」
僕「でも去年のがあるのでしょう」との質問に
担任「あれは有難く、黒のビニール袋に何十も包んで、臭いが消えてはいないよ」
でも、2年になったのでどうしても又、あきらちゃんのおしっこが染み込んだ
パンツが欲しいのだが」
ここまで哀願されると断ることは不可能であった。
担任「では、今のパンツの下に穿いて帰ろうよ」と担任方で穿かされた。
担任「こちらにおいで」と手を引かれた先はいつもと別の部屋であった。
そこは4.5畳の畳で布団が敷いてあった。
担任「あきらちゃん、今日はここに寝て。その前に軽く後手に縛るよ」と
毎度の行為の前と同じであった。
担任「ここに寝て」と言われ従った。
僕は覚悟して仰向けになった。
担任は楽しそうに時として興奮して、僕のズボンのベルトを外し、チャックを下げ、
一気にパンツまで脱がされてしまった。
さすがに中学2年になると一層に恥ずかしくなった。
だが耐えるしかなかった。
担任「可愛い顔のあきらちゃんの可愛いおちんちんだ。まだ毛はないね」との
一言に続き、何と近くにあった定規で長さを測定した。
担任「まだまだ小さいね。あと少し遅く生まれていたら、今中学1年だから、
中学1年と同じと思う。1年の時は小学生とまるで同じだったからね」と
言いながら、皮を少し剥かれ「あきらちゃん、いくらおしっこの後振っても
ものすごい強烈な臭いがするが、この臭いが又たまらないよ」とその日は
最初から尿臭を嗅がれた。
担任「あきらちゃんだけじゃないが、この皮がおちんちんを被さっている限り、
どの男の子でもおしっこは残り、皆臭いよ」としだいに興奮が激しくなった。
ペニスをさんざん弄られたのはいつもと同じだが、その日は勃起したペニスを
いきなり剥いた。
僕「先生、痛いやめて!」
担任「ごめん、痛かったかな。でもいずれこの皮は剥かれてしまうよ」と元に
静かに戻した。
担任「先生はねぇ、君を筆頭に可愛い男の子を思いマスタベーションをやめることはできない
のだよ」と言いながら、睾丸を弄ばれ「ここからいずれあきらちゃんの赤ん坊の命が誕生するが、
あきらちゃんの子はきっとあきらちゃんの様に色白で可愛い子だろうね」と
つぶやいた。
担任「僕は多分結婚できないと思う。ここまで男の子に興味を持てば、まず無理だろう。
悲しいが・・・」と言いながら、僕のペニスに鼻を近づけた。
今までなかった行為であった。
くんくんと犬の様に臭いを嗅がれた。
中1までは、手で臭っていたが、直接鼻を持って来たのは始めてであり、さすがに
これは、1年の時にはなかった恥ずかしさであった。
担任「ああ、可愛いあきらちゃんのおしっこは香水の様だ」とかなり興奮していた再中だった。
担任「いけない、出てしまった」「今日はこれで終わりだから
この白のブりーフを下に穿きズボンを穿いて帰る用意をしていて」と言って、
他の部屋に行ってしまった。
暫くして戻って来た。
担任「あきらちゃんのおしっこの臭いを嗅いでいたら僕が射精してしまった」と
言いながら、ベルトをしていたので精子でベトベトになったパンツを穿き替えて
来たのだろう。
担任「あきらちゃんは今日は射精はなかったね」
「では、白ブリーフを2日位穿いててね」と言いながらその日の屈辱は終了した。
その後、毛が生え出した後、又、元の子どもの性器にされるべく
毛を何度も剃られる運命が待っていることも知らずに家に送ってもらった。
ホモ教師の罠6
- by あきら at 1月10日(日)20時08分
- Number:0110200851 Length:4428 bytes
中学2年になっても、まだ無毛だった。
この僕に異常な興味を持つ担任は、ホモよりショタであろう。
だが、男に性欲を感じるという事実は、大きく含めホモであろう。
ただ、いつもの猥褻行為被害の中で、気がかりがあった。
それは、異常ともいえる尿臭フェチの担任の態度であった。
僕だけでなく、包茎の男の子は残尿があり、包茎である以上、
どの子も臭い事は承知であった。
ある日、担任になぜ、そこまで僕の尿臭に興味を持つのか聞く事に決めた。
いつものように、塾が終わり、その日は日本茶と菓子が出た。
正直な所、僕の体をもてあそばない日はなかった。一つには、
当時は、いつも塾の後もてあそばれて、
母親に担任は、
「塾の時間も中2になり難しくなったので長くなる」旨を伝えていて、
母も信じていたので遅くなっても全く疑いはなかった。
担任の「全て英語の個人指導であり」を虚偽とどうして言えよう、
真実を言えない状態になっていた事もある。
休憩が終わり
担任は「あきらちゃん、今日もいいね」と言って来た。覚悟はしていたものの
中2共なると益々恥ずかしくなって来たが、断る事は不可能であった。
僕は思い切り尋ねた。「先生、なぜ僕にブリーフを穿かせ汚させたり、最近は鼻を近づけたりして
尿の臭いにこだわるのですか?聞きたいのですが」と言ってみた。
以外に担任は答えた。
担任:「僕がやっている中で確かに、あきらちゃんのチンチンの臭いを嗅いでいるし、
無理にパンツをおしっこで汚してもらっていて、おかしいと思うのも最もだ。
実はね、もう時効だし本人は全く知らないので、今更本人に言う必要もないのだが、
僕があきらちゃんを弄る時、臭いに興味を抱き出したある理由があるのだよ」
担任:「誰にも話してなく、あきらちゃんが初めてだが僕の体験からなんだ」
担任:「僕は、学生時代に小学生のいとこがいたのだよ」
「もう大きく今は東京で大学生だが、彼がまだ幼く小学校3年の時だ」
「その子は、とてもそう、あきらちゃんちゃんの様に可愛らしい子男の子で
僕の家によく伯母と泊まりに来ていたのだよ。そして、プールや遊園地に連れて行き
『映画も見たい』という時もあり、時々一緒に行っていたのさ。その子はプールや遊園地、
映画に行った後は疲れてしまって、車中で眠る事があってね、
又、ドライブも好きな子でよく連れていったのさ。
それも長くなると車中で寝る事があるので、ある日いとこにイタズラする気になってね、
ひと気のない僕の祖父の所有の山林に行っただよ。
そして起したのだよ「○○ちゃん、おしっこは大丈夫?」とね。
ゆさぶっても疲労した時は起きない事を知っていたので、ひと気のない場所へ行ったのさ。
その日、映画の帰りで疲れて眠っているので、そーとズボンとパンツを脱がせたのだよ」
脱がすと、まだ3pもあるかないか、小さな可愛らしいペニスを見て興奮してね。
そして脱がした瞬間どこからか臭って来るおしっこの臭いに興奮して、
見るとパンツは黄色に汚れ、ペニスを見ると皮被りの小さなペニスからも
臭いが出ている事に気づき勃起してしまい、そのままペニスをやさしく目覚めないように弄りそれ以来、
可愛らしい男の子のおしっこの臭いも興味を抱き出したのが真相なんだ」
担任:「辛い思いをさせているのだね」「だが、僕の男の子好きはもう趣味の範囲ではなく男の子なしで生きていけないのだよ。
だから、過去の受け持ちの可愛い男の子のクラス写真からお気に入りの子を引き伸ばしているのだよ。
毎日、男の子、それも小学生から中学2年位までの僕の趣味の可愛らしい子が欲しいのだよ。
あきらちゃんが、中学に入学して僕がクラス担任になった時、「天使の様な輝き」に見えたのさ。
既にクラス写真の君を見て毎日オナをしていた矢先に
君のお母さんから個人指導を頼まれて、僕は益々あきらちゃんの体が欲しくなったのだが、
あきらちゃんもまだ包茎でとてもおしっこ臭いので、ついいつも臭いを嗅ぐ事をやめる事が出来ないのさ。
ごめんね、かわいいあきらちゃん。先生も悪いと思いながらここまで来てしまったのだよ。
今日も時間は短くていいからお願いだ、いいね」といつもの部屋に行く事になった。
が、しかし、その日の担任の尿フェチの理由を知らされて、臭いを嗅がれるのが益々恥ずかしくなって来た。
後は、軽く縛られて、担任からベルトを外され、チャックを下されてしだいに変態の姿になって来た。
何といっても、プライベートゾーンを見られた瞬間は、やはりいつも恐怖と恥ずかしさで体は動かなかった。
日によって、ワイセツメニューは違った。
その日はよく記憶にあり
1、ペニスを指ですぐ臭われて、鼻を近づけ
2、前後・左右に振られ、回されていると勃起した。
3、軽く剥かれ
4、睾丸付近を弄られて
「もう今日はやめて欲しい」と思ったが言い出せなかった。
その日は、担任は僕の穿いていたトランクスを臭い、マスをして堂々と僕の方向でオナっていて
暫くして、大量の精子が出た。
ついに言った。「先生、僕は先生に頼まれて白ブリーフを穿きました。
今日はもうやめて下さい」と哀願した。
担任:「つい、いつも以上興奮してしまった。服を着なさい家に送るから」と要約、この日は終わったが、
この後、今までは薄い液程度の僕も本格的な射精が開始されて、陰毛も生え出すが
又も、担任のおもちゃにされるなど知る事も考えていなかった。
ホモ教師の罠7
- by あきら at 5月5日(水)19時06分
- Number:0505190646 Length:3204 bytes
中学2年の夏になった。
その頃、担任の性の相手をされることは、塾の日の日課になっていた通りである。
だだ、試験の前は何もされなかった。
ある日、担任は冷たい紅茶とケーキを用意していた。
担任は僕につぶやき、以下を語った。
1.「自分が、小6から幼い男の子に興味を抱きだし、中学生になって益々ひどくなった」。
2.「通学電車の中で同じ学校の附属か、他の私学や国立大付属の小学生は可愛らしい子が多く、
皆、半ズボンの制服からスラリとした足が刺激的であった」。
3.「同じ電車で、一緒になる小学生が前や横に座ることもあった。
服の上からの小学生との感触だけでも、勃起する日もあり、リュックで必死に隠した。
その時、可愛らしい子の半ズボンから出ている股を触ってみたい衝動にかられた」。
4.「年下の同性の足を見て『触りたい』という心が既に『歪んだ性欲だった』」。
5.「又、向かいの席の子の短い半ズボンから少し見えたブリーフを見たい。絶対に黄ばんだ汚れを臭いたい。
性器を触りたい。臭いたい。起たせたい。
とその時に衝撃があり、先に降りる子の尻部分を想像もした」。
6.「ショタと言われる幼い同性への興味は、
増すばかりだったが、その性欲は治まることは無理だった」。
担任は過去の体験から生じた現在の行為まで淡々とではあるが、寂しそうでもあった。
この時「あきらちゃんには本当に悪いね」との言葉があったが、僕は当分の間、解放されそうもない覚悟をした。
なぜかといえば、担任の興味は「小学生から中学2年まで」のみということは、
担任から聞かされたので知っていた。
ところでクラスの男子は当然性的な話題もあった。
そして、同じ学校の女子の話題も密かにあった。
男子は「もう射精がある」「毛が生え出した」「自分は小学6年の時から、
毛も射精もある」等の中学2年らしい話題であった。
僕自身は毛は夏まで全く生えず、射精といっても1,2滴の濡れる程度であり、
まだ本格的な射精はなかった。
勿論、包茎でありほとんどの同級生も包茎であった。
まだまだ子どもの性器であったが、しだいに射精が始まった子はいたようだ。
1人、2年時のクラス替えで父親の仕事の関係でアメリカ生まれ(日米の二重国籍)と一緒になった。
その子はアメリカで、生後すぐに包茎手術をされたらしくもう剥けていた。
(ちなみに、最近のアメリカでは包茎手術を赤ん坊に施すことは激減しているらしい)。
僕の陰毛は中学2年の夏休みにようやく顔を出した。
これを発見した担任は、「頼む、毛のないあきらちゃんを秋まで見せて欲しい」と哀願された。
僕は「どうするのですか?いやです」と断った。
担任は、「家の人や友人や誰か毛のことを知っている人はいるのかな?」と聞いた。
この時、僕は「知っています」と言えばよっかたものを「いえ、誰も」と言ってしまった。
実際、夏休みで小さな従弟は、入浴していたが全く気付いていなかった。
担任は「じゃあ、剃らせてくれないかな」と言われた。
僕は断れなかった。
その日は、担任から、石鹸を塗り怪我をしないように、カミソリできれいに剃られてしまった。
タオルできれいに拭かれ、結局、今までの子どものペニスの姿にされてしまった時は、
正直言って悲しくなった。
そして、又、担任の毎度の行為は続いた。
そして、猥褻行為中の恐怖・恥ずかしさ・屈辱の気持ちは益々強まった。
勿論、脱がされる時のシュックは何回体験しても、恐怖に引きつった。
とにかく恥かしかった。
僕のペニスの中の尿の臭いをいつも嗅がれ、パンツを嗅がれ
勃起したペニスをうっとりとしてピストンされ、睾丸をやさしく握られ、
少年として忘れることができない体験が続いた。
尚、肛門性交がなかったのが幸だった。
指を入れられたことは、お茶の後にまれにあったが、
大部分は中学生の性器目的が中心であった。
ホモ教師の罠(最終回)
- by あきら at 6月21日(火)19時19分
- Number:0621191931 Length:5518 bytes
もう1年以上投稿していなかった。
今日は、勤務先の大学の公休日である。
実は、震災で小学生の甥が行方不明になっていたが、遺体が発見され葬儀に行って来た。
甥の遺影は、可愛らしい写真であったが、何か寂しげな様子に見えたが僕の
あまりにも辛い性被害体験と重ねた気のせいかもしれぬ。
にっこり笑う甥の写真を見て「僕もこのように幼い時があったなぁ。でも中学1年から
まさか定期的同じ人物に屈辱的性被害を受けるなど考えたこともなかった」。等つい思ってしまった。
葬儀では、もう腐敗が激しく検視が終わりすぐ火葬されていて、骨による葬儀であった。
まだ、行方不明であった4月と5月に甥が夢に出た。
全く喋らなかったが、護岸にから這い上がろうとして泣いていた。
僕は「もしかすると海に流されたのか?」と思っていた矢先警察が見つけてくれた。
発見したのは海岸を捜索していた警官であるが、「海から戻ったようだ。同じ場所を何回捜索しても、
時々海から戻る遺体がある」と姉が聞いたらしいが、鑑識が来るまで見つけた警官もあまりの
幼い甥の腐敗遺体に涙を出していたらしい。
まれにしか会うことがなかったが、東北から姉と帰省した時、僕も帰省していて
会っていたが、まだ低学年でもあり、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とじゃれて
来ていたのが瞼に浮かぶ。8才で死んだなど考えたくもなく否定したいが
現実の悲しさだ。甥は子役でもできそうな可愛い顔をして表現力も豊であった。
知識欲も旺盛で読書好きで「よくネットで調べたりしている」と姉から聞いていた。
何度か一緒に入浴したが、小さな男の子の性器は何か不思議な魔界に引き込まれる誘惑にかられる。
まさか、8才でとは思ってもいなかったが、死ぬ瞬間はどんなに
怖かっただろうと思う。その日は姉は保護者会とやらで、甥が通学していた小学校は
下校した子が多くかなりの犠牲者が出たらしい。
ある意味、もし甥もこの先僕が受けた屈辱的な性被害に絶対に遭遇しなかった
とは言うことはできない。
僕と同じ辛い体験をしたら生涯脳裏から消え去る事は不可能だ。
さて、僕は担任から中学2年の秋まで凌辱され続け、本格的射精は中学2年の9月に
担任の手により開始された。
中学2年になり生え出した陰毛は最初は担任の趣味により剃られてれていた。
しかし、修学旅行が10月にあったので、担任も理解してくれて剃るのは一旦
中止してくれた。
修学旅行では、包茎手術を受けた1人以外、まだまだ全員が包茎で、
陰毛が大人並みに濃い子もいればまだ無毛、僕のように少しとさまざまであり、
別段気にすることもなかった。
但し、タオルで性器を隠したようでも最初だけであり、しだいにそのままの
姿を互いに見る事となった。以外であったのが、中学2年の10月になっても
まだ小学生のような性器が多かった。
話は前に戻る。
僕は最初の英語の試験の罠により、誰にも言えない屈辱を受けることが続いていた。
担任が用意した白ブリーフにも、母親に見つかることなく穿いて尿で黄色の
尿染みを付けてやったのも1度ではない。
射精が本格的にあったのは9月であり、実際に強烈な快感を味わい、マスとは
何と素晴らしい快感かと思った。
最初は、性器から腰、尻、太もも、下腹部に強烈な快感があった。
しかし、他人のそれも担任という教師の手で開始されたのは、
本来の一般的マスの開始ではないだろう。
担任は、いつも毎度のコースから開始していたが、やはり全部が恥ずかしかった。
特に、ズボンとパンツを脱がされた瞬間はいつになっても恥ずかしく、全身が恐怖で震えていた。
又、性器をさんざん弄ばれた時や担任が楽しいそうにニオイを嗅いでいる時は、屈辱と情けなくて
もういい加減やめてもらいたくなったが、担任は本格射精が始まり益々興奮するばかりであった。
おまけに包茎少年であったので、パンツはどうしても残尿で汚れ、あの包茎少年のパンツ独特のニオイを
よく嗅ぎ、エクスタシーに浸っていた担任である。
中2の11月まで、よく射精して終わっていた。
ところが、ある日他の中学1年の女生徒が1学年先をやっていて、ようやく
一応悲惨な体験は、なくなった。
何せ担任が2人を車で送ってくれるので、何もされる余地はなくなった。
一応中学2年の秋まで続いた。
翌年3月、その女生徒はマンションを親が購入して遠くであり塾をやめた。
3月も春休みの前、最後になったが担任から以前と同じ猥褻行為をされた。
断る事は最初の発端が発端であり不可能であった。
ついに担任から、僕は全裸にされてしまった。
目的は写真を撮る為のようだった。担任曰く「僕も当分あきらちゃんの裸の写真で
気持ちのいい事ができる」と言っていた。
担任は「あきらちゃんの肛門も撮りたいので腹ばいになって」と言われ、断る事は不可能であった。
原ばいになり、担任のカメラの音を聞き、自分が最初にきぜんとしなかった結果、
このような始末を本当に悔やんだ。
この日は陰毛を又も剃られて、小学生のような包茎ペニスの写真を撮影された。
実は、中学1年の時、ペニスや尻をアップで撮影された事があった。
担任が処分しない限り、ネット上にないか見ていたが、幸担任は自分が楽しむ以外は
出していない。
この日は全裸で、弄られ、ニオイをさんざん嗅がれ、剥かれ、マスをされて終わった。
尚、この日は「瓶におしっこを残して欲しい」と頼まれて、やむなく放尿して
残した。
帰宅後、母は「塾へ行き英語が大変できだしたね。先生はお母さんに息子さんは、
私が個人指導したら、かなり伸びます。と言われ、信用してお願いしたのがよかったわ」。
と聞かされた。
愕然として「お母さん、なぜ言わなかったの?」と尋ねたら、「先生から特別指導しますので、
息子さんには、内緒にしていて下さい。と言われていたのよ」と言って来れた。
僕は心の中で「あいつ、中学1年の時、僕に目を付けたな。答案を書き替え、母さんを騙し、
僕があいつの個人指導名目で、自分の家に来るようにしたのか」と愕然とした。
『くそう、あの担任、僕を性的にもて遊ぶ卑怯な罠だったのか』
この日初めて「ホモ(ショタ)教師の罠」に親子で騙された事実が分かった。
母は、別の塾を既に探していて、中学3年から高校受験向けの塾に通い、担任も他校に
転属となり忌わしい縁は切れた。
ただ、担任の元には僕の裸の写真や、汚した臭いパンツ、尿等を残したままだ。
教師の小中学生への猥褻犯罪は大変多く、少年の被害者も多い。
東京では、小学校校庭で遊んでいた中学1年男子6人からパンツを強引に
脱がせて持ち去った教師もいる。
僕の担任は、気にいった男子生徒に目を付け弱みを握り、口外できないように
さんざん弄んだある意味「知能犯」でもある。