山での共同生活
- by 達彦 at 2月5日(火)10時17分
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私が子供時代を過ごした村では奇妙な風習がありました。そこは人里離れた山間の集落で、今でこそ道路も整備されていますが当時はまさに陸の孤島でした。
そこでは夏の間、集落内の男の子だけが集められ、山中の小屋で共同生活を送ります。
私が初めて参加したのは小学校3年生の時でした。当時すでに過疎化が進んでいたため、集落内のすべての男子小中学生を集めても10人弱でした。
夏休みが始まって間もなく、小屋での生活が始まります。そこでは服を着てはならず、全裸でいるか褌一丁だけ身につけることを許されていました。というのも村に男の子がいないと見せかけるために始まったからで、村には男の子が身につけるような物は一切なかったからだということです。
山小屋に着くとまずは服を脱ぎ、脱いだ服を大人に預けます。大人は全員の衣服を持って山を下り、小屋では子供だけで2週間過ごします。
始めのうちは褌を身につけている者もいましたが、便所の度に外したり締めたりするのが面倒になり、また裸で過ごすうちに恥ずかしさも忘れ、3日目にもなれば全員が全裸で過ごすようになります。時々大人が食料を届けに来たりしますが、全裸でも平気で元気な姿を見せ、大人を安心させるようになります。
始めは慣れないことも多く、上級生の手伝いや日課をこなすのに精一杯でしたが、数日が経ち慣れてくると周りではものすごい性行為が行われていることに気がつきました。なにしろ思春期の男の子ばかりが集まり全裸で2週間を過ごすのです。何も起こらないはずはありません。
ある朝目覚めると、ピチャピチャという音がリズミカルに繰り返されていました。薄目を開けて周囲を見ると、中学生が勃起したペニスをしごいていました。オナニーというものを初めて見ました。彼は全身に力を込めるように時々足をばたばたと動かし、息を荒くしながらペニスをしごき続けました。そして「うっ」という声とともに自分の体の上に精液をまき散らしました。まだ寒い朝、その液体からは湯気が上がっていたようにも見えました。彼は呼吸を整えると近くにあったタオルでさっと体についた精液をぬぐい、手洗い場へと向かいました。私は体を起こして周りを見ましたがまだみんな寝息を立てていました。中学生の何人かは朝立ちしていました。
そのことがあって、年上の多くは頻繁にオナニーしていることに気づきました。「ちょっと抜いてくる」と言って席を外す者や、小屋の影でペニスを触り合う者を見たこともあります。その時彼らのペニスは勃起していました。そうやってペニスを大きくしてしごくものなのだと、分かったのです。
山での共同生活 2年目
- by 達彦 at 2月5日(火)11時14分
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翌年の夏、山小屋に行く日が来ました。顔ぶれは前年とまったく同じでした。日頃良く顔を見る友達ばかりですが、全裸で過ごしていると1年の成長の様子がよく分かります。特に、大きさを増し、皮が剥け、毛の多くなるペニスの成長は。
私は前年の共同生活の間に覚えたオナニーがすっかり習慣になっていました。しかし発毛も精通もまだなく、最年少の私は周りの子達に比べると明らかに子供の体でした。5,6年生の子は毛は生えていなくても勃起すれば皮が剥け、形だけは他の年長者と変わらない立派なモノでした。
「お前まだせんずり知らんだろ。」
そう声をかけてきたのは最年長の子でした。私は、知っていると答えるのが恥ずかしく、
「はい。」
と言ってしまいました。すると彼は
「そろそろ覚えといた方がいい。他の奴らはみんなやってるから、教えてやるよ。」(実際には方言が入っていますが、標準語に翻訳?して書きます)
彼は返事も待たずに私を床に座らせ、近づいてきて私のペニスを掴みました。ゆっくりと皮ごと亀頭の辺りを揉まれ、徐々に勃起していきました。他の子達もニヤニヤしながら集まってきて私たちの様子を見ていました。
「達彦も立つとなかなか立派なモノだな。」
彼がそう言ったとき、彼のペニスももちろん、周りの男の子達もみんな勃起していました。
「今日の仕事は終わったし、みんなでせんずり大会するか!」
彼のその一言に皆よろこび、自分のペニスを扱き始めました。私は最年長の彼にペニスをしごき続けられ、その彼のペニスは他の中学生が握って撫でていました。
ほどなく私は射精のない絶頂を迎え、しごくのを止めてもらいました。彼はそのまま他の中学生としごき合いを続け、そして私の体に向けて射精しました。私の腹や胸や首の辺りまで飛び散った精液はとても温かく、何とも言えない興奮と喜びを感じました。周りの子達も自分でしごいたり他の子にしごかれながら次々精液を放出しました。小学生のうち何人かはまだ精通を迎えていないようでしたが、オナニーが終わると満足げな笑顔を見せていました。
この時以来、山小屋ではオナニーを隠れてする者はなくなり、扱き合いも当たり前のようにするようになりました。
山での共同生活 3年目
- by 達彦 at 2月5日(火)12時01分
- Number:0205120138 Length:1984 bytes
山小屋での共同生活も3回目となった夏、私は小学5年生、11歳になっていました。前の年、私のペニスを扱いてくれた彼は中学を卒業し、もう共同生活には参加しません。代わって中3の2人が最年長者となりました。また、ようやく私よりも年下の子が2人初めて参加しました。私は彼らのお世話をするように命ぜられました。
新入りがいるということで、褌をつけることになりました。私は1年目に教えられた締め方を思い出しながら、2人の後輩に褌を締めてやりました。しかし、年長者の多くは褌を煩わしく思い、すぐに外してしまいました。他の子もしだいに面倒になって外す者が多くなり、ついに全員が全裸で過ごすようになりました。はじめは中学生達の立派なペニスを見てとまどっていた後輩達もすぐに慣れたようです。
この時は、私が精通を迎えた記念すべき夏でもありました。
2人の後輩と2人の中学生、それに私の5人で枝拾いに出かけたときでした。小屋から離れる時も、靴や草履を履くのは良くても衣服は一切身に纏いませんでした。休憩している時に後輩達が話し始めました。
「○○さんがチンチン大きくしてたよ。」
「ずっと揉んでいたね。」
「××さんもやってたよ。△△さんも。」
「ねえ、達彦さんもあんなふうにチンチン大きくなる?揉んだりするの?」
聞きながら中学生はクスクス笑っていました。私はどうして良いものか困りました。
「達彦、ちょっと早いかもしれんが教えてやれよ。」
「お前がその子らの世話係なんだから、責任持って教えてやれよ。」
「達彦のチンチンよく見てなよ。」
中学生はそう言いながら私の両脇に来て、2人で私のペニスをいじり始めました。みるみる固さを増す私のペニスを見て後輩達は嬉しそうでした。完全に勃起すると1人が私のペニスを扱き、もう1人は私の胸やお尻をさすって後輩達に見せました。山小屋から離れた林の中、他の人が来る心配はありませんが、恥ずかしさと不安が混じるような感じと、後輩に見られながら中学生に愛撫されるその行為に不思議な興奮と快感を覚えました。いつも以上にペニスが気持ちよくなり体中を震わせながら初めての射精を迎えました。
私は全力を出し切ったように力が抜け、激しく息をしていましたが、気がつくと後輩も私たちの行為を真似て自分のまだ未成熟のペニスをいじり、中学生は互いに抱き合うようにしてお互いのペニスを扱き合っていました。
山での共同生活 3年目(2)
- by 達彦 at 2月5日(火)13時40分
- Number:0205134040 Length:1687 bytes
それぞれに精液の放出を終えると、拾い集めた枝を持って山小屋に戻りました。一緒だった中学生はすぐに最年長者の所へ行き、私が精通していたことを報告したようです。その日の夕方最年長者から呼び出され、行ってみると中学生5人全員と6年生の子が1人いました。
そこで言われたことは、夜寝ている間に精液を漏らさないよう、夕食後から就寝までの間に1人1人のペニスを口か手で抜いてあげるようにということでした。伝統的に精通している子の最年少者が他の子にやってあげることになっているそうで、今までは6年生の子がその役をしていましたが、私が精通したのでその役が回って来たというわけです。「口で」というのは初めて知らされたのですが、やってもらう人がどちらがいいかを選びます。そして全員を抜き終わったら自分でしても良いと言うことでした。
「こいつにだけはやらなくてもいいから。」と言われ、指さされた子は中学1年生で、彼はまだ精通していないので抜いてあげなくて良いとのことでした。
その日夕食が終わるとさっそく最年長の2人がやってくれと言いました。ペニスを口にくわえるのは初めてのことでしたが、先輩にいろいろと指示されながら、2人のペニスを両手に持ち交互にくわえていかせました。
その次は昼間も一緒だった中学生で、ペニスをしゃぶりながら玉を舐めたりお尻の穴もいじるように指示されました。最後が6年生の子でしたが、彼は中学生にも負けない1番大きなペニスの持ち主で、この仕事を私に引き継ぎ、抜いてもらえるようになったことをとても喜んでいました。
私は昼間の別の時間に、隠れて何回もオナニーしていましたが、夜5人のペニスを抜いているうちに自分も興奮して勃起してしまうので、寝る前にもう1度抜かなければ落ち着いて寝られませんでした。
その年の夏は毎晩先輩達のペニスを口と手でいかせ、昼間も時々頼まれて抜いてあげました。
そして翌年も、精通した者の中では最年少者だったため、同じように毎晩、何度も何度も先輩達をいかせてあげました。
山での共同生活 5年目
- by 達彦 at 2月5日(火)15時42分
- Number:0205140647 Length:1911 bytes
4年目を省略して5年目のことになります。私は中学1年生でしたが、相変わらず精通しているこの中では最年少で、みんなの精液を抜いていました。私より年下には小学4年生が1人と5年生が2人で、彼らが精通していないかと何度か呼び寄せてペニスを扱いてみたのですが、気持ちよくはなるものの射精には至りませんでした。それどころか、ペニスを扱かれる快感が病み付きになってしまい、何度も扱いて欲しいとせがまれる始末でした。結局私一人で他の7人みんなのペニスを扱いてやる羽目になってしまいました。
もちろん私も抜いてあげるだけではなく抜いてもらうこともありました。中学3年生の1人は、抜いてあげた後お礼にと言って私のペニスも口を使って抜いてくれました。年少の3人も、ペニスを擦って射精させるのがおもしろいらしく、日に何回も寄ってきてはペニスをいじられ、抜かれました。
そんなある夜のこと。夏とはいえ山の夜から明け方は冷え込み、煎餅布団だけでは寒くて仕方のないことがありました。そんな時は2人ないし3人で1つの布団にくるまり、裸の体を寄せ合って寝ていました。暖かいというだけではなく、直接肌と肌が触れあう心地よさが私は好きでした。その日はひとつ年上の1番大きく逞しいペニスを持った子と、3年生の優しい子と3人で寝ていました。
2人とも夕食後に抜いてあげていましたが、3人で抱き合っているうちに興奮して勃起してきていました。3年生の子が私の乳首やペニスをまさぐり始め、2年生の子は私のお尻の穴に指を入れようとしました。私も興奮していたため、彼らの愛撫を受け入れていました。私が布団にもぐり3年生のペニスをくわえると2年生は自分のペニスから出る先走り汁を私の尻に塗って指を出し入れし始めました。はじめのうちこそ少しの痛さと気持ち悪さのようなものがありましたがしだいにそれが心地よく感じられ、興奮も高まり体が熱くなるのを感じました。
そしてついに彼の太く逞しい物が私の中に入ってきました。私はあまりの痛みに思わず声を出してしまい、慌てた3年生が私を抱きかかえるようにしてくれましたが、2年生の彼は激しく運動を続けその間私は声を抑えることができませんでした。その声に寝ていた子達も目を覚ましてしまい、私はみんなに見られながら「処女」を失いました。
山での共同生活 5年目(2)
- by 達彦 at 2月5日(火)16時30分
- Number:0205160837 Length:1577 bytes
共同生活をする仲間の中で1番大きく太い物を持った彼は、激しく体を揺すり続け、その動きがさらに激しくなり、より深くペニスを突っ込んできたかと思うと熱い精液が体内に勢いよく流れ込んでくるのを感じました。彼はグッタリと私の上に崩れ落ちてきましたが、すぐに別の中学2年生がまだ私とつながっている彼をどかし、代わって自分のペニスを入れてきました。1人目の彼に比べれば中学生らしい大きさのペニスで、私は少しずつ気持ちよく感じるようになりました。
同時に、優しく抱いていた3年生が私の顔にペニスを近づけてきたので私はそれを口にくわえました。見ていた小学生達ははじめは唖然としていたようですが、しだいに興奮してくると勃起したペニスを私の顔に近づけてきました。私はお尻に中学生のペニスを入れられながら口では小学生のペニスをくわえていました。もう1人の3年生は、最初に私を犯した2年生を抱き始めました。考えてみれば2年生の彼は私の前に他の子達のペニスを抜く係でした。お尻をやられたこともあったのでしょう。
それから代わる代わる中学生にはお尻に、小学生には口にペニスを入れてもらい、疲れ果てて眠る頃には外は明るくなっていました。
こうして山を下りるまでの約1週間、昼も夜もセックスにふけりました。翌年も夏の共同生活は行われ、2週間精液が枯れるまで、ペニスが勃起しなくなるまで飽きずにセックスを繰り返しました。
そして私がようやく最年長者になる年、2年下の後輩は夏になる前に精通したと教えてくれ、共同生活が始まるのをとても楽しみにしていましたました。しかしこの年、町から集落へ通じる道路の工事が始まり、また過疎化が進んでその後当分新しい参加者が現れないことから、夏の共同生活は
この年を最後にすることが決まりました。
いろいろな意味で私たちを大きく成長させてくれた貴重な体験は今では過去のものとなりました。