担任教師
- by 和馬 at 5月6日(木)16時14分
- Number:0506161400 Length:3679 bytes
自分が小学校の時の話しです。
4年まではクラスがぐちゃぐちゃで(学級崩壊してたね)学校はつまらなかった。
5年になって担任が始めて男の先生になった。
2年目の先生で去年は一つ下の学年にいた。
2年目でも30歳ちょっとの人だった。
初めは熱血というか、少し恐いくらいの先生だった。
叱っても必ず諭してくれるので、段々とクラスも落ち着いていった。
隣のクラスは相変わらずだったけど、友だちからは「和馬のクラスはいいなあ」
と羨ましがられていた。
そのころの自分は性的な関心なんてまるでなし!の少年だった。
たいした取り柄のない自分にも、担任はよく声をかけてくれたりして
嬉しかったのを覚えている。
5年の夏に臨海学園にいった。
担任も一緒に風呂に入ってくれて、始めて男性の性器をまじまじと見た。
自分は親父と風呂に入ったこともなく、離婚したのでわからなかった。
毛が生えているのに驚きながらも、胸がどきどきしてしまった。
夜になっても、風呂での出来事が強烈で、なかなか眠れなかった。
12時を回った頃だろうか、他の友だちはぐーすか寝ていたけれど
自分だけは興奮で眠れなかった。
そんなとき担任が脇に来て、「眠れないのか?」ときてくれた。
「うん。」というと、「明日も泳ぐから眠らないとな。」と言ってくれた。
担任は自分の手を握って「落ち着けば寝られるよ。」と言った。
自分は横にいる担任の短パンが気になっていた。
ふと気づくと自分が勃起していた。
担任のとりこになってしまっていた。
次の日、泳力別のグループに分かれた。前の日は、インストラクターの先生
だったが、自分があまりも泳げないので、格下げ?になった。
一番泳げないのは、自分の他に二人いて、担任のグループだった。
担任はすごいスタイルがいいわけではないが、がっちりしている体だった。
当時は、競泳水着全盛で大人はほとんど履いていて、担任もそうだった。
担任は玉袋もでかいのか、前がもっこりしている。
自分はスク水着で、かなうわけない。
夕べの風呂から、担任のもっこりが気になっていたわけで、内心嬉しかった。
海に入っても、ほとんどは遊びみたいなものだった。
自分は身長も小さく、波がくると足が着かないことも多くて
担任が後からすくってくれた。その度に、背中にもっこりがあたった。
半勃ちになってしまって、恥ずかしかった。
夏休みの間、担任が妙に恋しくなってしまったことが何度かあった。
自分の家は、母子家庭で母も帰宅が遅いし、姉がいたが年も離れていたので
平日は朝、母や姉が出かけると、7時過ぎまでは誰もいなくなる。
寂しかったのもあるが、担任の優しさや人なつっこさが、今までの自分に
なかったのか、すごく新鮮に感じた。
休み中のプール(泳げなかったので)も毎日いった。
担任がほとんどいたせいもあるが。少しずつクロールが泳げるようになり
「すごいな!頑張ったな!」と誉めてくれたのが嬉しかった。
当時、理科でヘチマを学級園で育てていて、ほぼ土日以外は水やりにいった。
担任が見つけてくれたときは、嬉しかったのを覚えている。
夏休みには担任を思い出すと、よく性器が勃起したのだが、先っぽが痛くて
きつかった。初めはよくわからなかったが、朝起きると勃っているときも
痛くなってきていた。
母親には恥ずかしくて言えないし、どうしようと思っていた。
水やりに言ったとき担任がいて「お〜和馬、職員室来いよ」といってくれた。
その日は担任が日直で、他の先生は誰もいなかった。
クーラーも効いていたし、色々な話しをした。
家のこと、2,3年の頃親父が家で暴力を振るって学校に行けなかったこと
など、割に無口な自分が饒舌に話したのを覚えている。
最後に勃起すると皮が痛い話しをした。
担任は初め中々分からなかったが、説明すると分かってくれた。
「たぶん包茎で皮が小さくてきついんだろうな」と教えてくれた。
自分も短パンの脇から出して見せた。
「おお、かわいいな〜」「皮剥いてみな」と言われたができなかった。
担任が「俺が家に電話してあげるから、恥ずかしいけど医者に行くんだぞ」
と言われた。「え〜」と思ったが、「大人のチンコにならないぞ」と言われ
納得した。
数日後、泌尿器科にいった。真性包茎で、皮を切除することになった。
手術は難しくないからといわれ、ホッとした。
初めは包帯をして、ずきずきしたが、二日目くらいにはなんでもなかった。
何日かたって包帯もとれた。
が、性器はズル剥けになっていた。
担任教師2
- by 和馬 at 5月6日(木)17時01分
- Number:0506170102 Length:3202 bytes
ズル剥けになった性器は、亀頭がブリーフに触れて初めはきつかった。
が、何週間かたつと慣れてきてしまった。
二学期になって、勉強が分からなくてついていけなくなっていた。
2,3年生はあんまり学校に行っていなかったので、5年になっても九九が
言えなかったくらいだった。
放課後、よく自分を残して担任は勉強を教えてくれた。
夕方も担任の家にいって(学区の外に住んでいた)教えてもらった。
段々と分かるようになってうれしかった。
金曜日、担任が「和馬、明日も勉強やるか?」と聞いてきた。
「うん、行きます」と言った。
この頃隔週土曜日が休みになった頃だった。
自分は朝から、教科書やノートを持って、担任の家にいった。
チャイムを押しても返事はなし。「あれ?」と思ってドアを開けると
まだ、担任は寝ていた。
9月頃だったから上はランニングを着ていたが、下はノーパンだった。
ワンルームに住んでいたから、玄関の中に入れば、丸見えだった。
担任はのモノは勃起していた。
自分は担任のモノは平常時でしか見たことがなかったから、勃起したモノは
かなりの強烈で、その場に立ちつくしてしまった。
何分か、何十分か自分は担任のモノを凝視していた。
自分の股間も痛いくらいに、勃起していた。
担任がやっと起きた。
自分に気づいた。「お!和馬、もう昼か?」と自分が昼過ぎに来ると思い
寝ていたようだった。「ううん、まだ9時すぎ・・」
担任も己に気づき「ヤバイモノ見せちゃったな」と、傍らにあったブリーフを
はいた。
午前中は担任は「悪いな」と言いながら、洗濯をしながら、勉強を見てくれた。
干し終わって、ベランダを見ると、ブリーフやビキニが何枚も干してあった。
そのころは自分たちもブリーフが多くて、トランクスは少数派であった。
大人はトランクスと思っていたが、担任は違うんだなと感じていた。
昼になって昼飯をご馳走になって、休憩していた。
担任が「和馬、手術してから大丈夫か?」と聞いてきたので
自分は短パンとブリーフを降ろし見せた。
「前よりでかくなったな」と言われた。自分ではあまり気づかなかったが
ズル剥けになってからは、亀頭がデカくなり始め、長さも出てきた。
ブリーフの前が濡れていた。
担任は、それに気づき、「和馬、お前興奮したのか?」と聞いてきた。
自分はドキドキしたが、朝の勃起したのをみたことや、担任の干してある
ビキニやブリーフを見たからだと言った。
担任は黙っていた。
数分経った。
自分は「こんなこと言ったから嫌われたな・・」と自分を責めていた。
急に担任は「俺は和馬のこと好きだぞ」と言った。その顔は、担任教師でなく
一人の男の顔だった。
自分も「おいらも先生のこと好きだから、勉強がんばったんだよ」と言うと
急に抱きしめられた。
担任は短パンの上からでも分かるように、固く勃起していた。
自分も同じである。この時、始めて性的興奮を感じた気がした。
ぎゅっと抱きしめられて、まるで赤ん坊のように嬉しかった。
抱きしめられると、すごく安心感があった。
その時「この人の前では素直になろう」と思った。
「本当はしちゃいけないんだけど・・」と言いながら
自分を裸にした。担任も全て脱ぎ捨てた。
臨海やプールで憧れていた体が目の前になった。
また、抱きしめられた。担任のモノが自分にあたってくる。
ぞくそくした。
担任に自分のモノを触られた。
他人にには初めてだったが、気持ち良かった。
体の奥から不思議なモノがあふれ出るような気がした。
握られていたら、自分は射精をしてしまった。
量は少なかったが、初めてなので驚いた。
担任が「これが精子だよ」と教えてくれた。
担任も俺の腹の上で、モノを激しくこすっていた。
どんどん赤くなってきて、亀頭は破裂寸前くらいまで膨れていた。
「ああ・・」というと、俺の腹の上に何度も熱い飛沫をあげた。
男の本性をみて、驚いた。
担任教師3
- by 和馬 at 5月6日(木)17時37分
- Number:0506173713 Length:3384 bytes
それから俺と担任の間は休みの日に行くと、やっていた。
学校では何事もなく、お互いに接していた。
勉強も2学期の終わりには、なんとかわかるようになってきていた。
成績も上がってきていて、親は喜んでいた。
冬休みには、毛は生えて来なかったが、モノが大きくなってきていた。
体操着が小さくなっていたのか、体育の時にはもっこりしていたようで
よく友だちからからかわれた。
冬休みになっても担任の家にはよくいった。
友人たちと行くときもあったが、そういう時は、一人できていることを
微塵にも出さなかった。
俺と担任だけの秘密だった。
冬休みになって連休があった。いつもより冬休みが早く始まった。
ある夜、母が親戚の人がなくなったので田舎にいくと言った。
姉は友人たちとスキーに行っていた。
5年の俺一人おいていくのも、気が引けたみたいだった。
「明日は先生の所にいって勉強だよ」とウソをついた。
母は担任のことを信用していたので「泊めてもらう」ことになり
母が担任に電話をして頼んでしまった。
俺は嬉しかったが、顔はふ〜んみたいな顔をしていた。
母は一泊で帰って来るつもりだったが、飛行機の切符が上手くとれず
二泊になった。
俺はいそいそと支度をして、母を見送ってから担任の家にいった。
またもや、担任は寝ていたが、俺も慣れたもので一緒の布団に入って
驚かせた。
そのころの自分は虐待されたり、家に誰もいないことも多くて寂しかった
と思う。担任に抱きしめられたりすることが、何よりの安心感になっていた。
また、父親をかぶせて見ていたような気もする。
担任が起きてから、「午前中は冬休みの宿題仕上げちゃうぞ!」と言われた。
「出来ないと出かけない!」と言われ必死にやった。
この頃は担任も慣れてきたのか、俺の前ではぶらんぶらんとモノを隠さなかったし
ビキニ一枚でなんて時が多くなった。
宿題が中々終わらなかったが、2時くらいには終わった。
(もっとも書き初めまでやっていたから・・・)
車で出かけた。
担任は「ドライブ」としか言わず、高速に入っても行き先は教えてくれなかった。
2時間走って着いたのは、結構山奥のホテル(普通の)だった。
俺は旅行や家族で出かけたことがなかった。
なんだかわくわくして嬉しかった。
部屋には露天風呂があって、俺は何度も入った。
夕飯も美味しかった。
寝るときもセックスなんてよく知らなかったが、担任に抱かれているだけで
幸せだった。
夜中に始めて俺のモノを担任に含まれた。
扱いて出すことはあったが、担任も含むことには抵抗があったのだろう。
俺は、気持ち良すぎておかしくなるかとさえ思った。
感じすぎて腰をひねっても、担任はモノを含んだまま、離してくれない。
俺もおかしくなりそうだった。体の奥が熱くなってきた。
担任の口が上下する度に、出そうになる。
そうすると担任は静まる。
何度も繰り返している内に、俺は我慢できなくなって、射精してしまった。
担任の口の中で。
でも、気持ち良かった。
そして眠りに落ちた。
朝、俺は目を覚ますと、隣に担任が寝ている。
浴衣の裾から、勃起したモノが見えている。
俺は、意を決して、口に含んだ。
最初は柔らかくなったが、目を覚まし、もっと大きく怒張してきた。
亀頭もデカイがカリが口にひっかかるのである。
俺は夕べのことを思い出し、奉仕した。
担任は、段々喘いできた。
俺の頭を押さえながら「イク!」と射精をした。
俺は口の中で、一滴も漏らさないぞと決めて口で受けた。
まるでお湯を飲んでいるように、熱かった。
汚いとも思わず、飲み込んだ。
「先生、俺のも飲んだし俺も飲んだから、おあいこだね」といったら
担任は笑った。
旅行も色々な所を見物したり、いったりして楽しかった。
あとで聞いたら、母親がどこかに連れていってくれと頼んだそうだ。
5年が終わるときには、担任の存在が大きすぎるくらいになっていた。
不安があった。6年も担任が続けてクラスを持って欲しいということだ。
3月は不安だった。担任も卒業式の準備や成績つけで忙しそうで、家には
あまりいけなかったのも不安の一つだった。
担任教師4
- by 和馬 at 5月6日(木)18時12分
- Number:0506181200 Length:2928 bytes
6年生になった。
始業式の前に、6年だけが準備登校がある。
教室の移動や入学式の準備をするのだ。
春休みは担任とは会えなかったので、学校に行くのが嫌だった。
その日の朝、同じクラスの雄一が家に来たので、しぶしぶ行く感じだった。
校庭に集められた。担任はいた。分担表には俺は担任の下に書いてある。
雄一も一緒で「また、同じクラスだといいな」なんていいながら、仕事を始めた。
5年の教室で俺と雄一と大介が担当だった。
大介が担任の荷物を運ぶときに「先生、6年も担任でしょ?」と聞いた。
担任が「誰にも言うなよ」と笑っていた。
俺は「よっしゃ〜〜〜」と言う気持ちで嬉しかった。
始業式で校長が「6年○組、○○先生」というと、歓声があがった。
俺だけでなく、みんなに好かれているんだな〜と思った。
でも、おれは「ふふふ・・」と内心を明かさなかった。
あんなに4年の時荒れていたなんて、ウソのようにいいクラスだった。
俺も無口だったけど、5年になって、雄一や大介と遊ぶようになった。
少しずつ変化してきていた。
5月の連休の初めに担任の家にいった。
そこで「和馬、お前チン毛生えてきてるな」と言われた。
全然気づかなかったので、驚いた。
といっても数本芝生のように生えているだけで、遠くから見たらわからない
くらいだったが。
担任がクラスをぐいぐい引っ張って行くのが楽しかったし、勉強もできるように
なってきたのも楽しかった。
5月の運動会では、鼓笛隊があるけれど、担任は俺を目立つドラムにしてくれた。
練習は大変だったけれど、終わってから担任は大泣きしているし、母親や姉ちゃんも
感激していて、なんだか嬉しかった。
担任も6年の担任は初めてで忙しそうだった。
家にも中々いけなかったが、放課後二人で話したり、雄一たちもいれて話したり
することがあったのがよかった。
二学期になった。
俺もチン毛が結構生えてきた。よくトイレにいくと、雄一や大介が見に来た。
雄一が結構もじゃだったけど、俺は剥けていたからいつも驚かれた。
10月になって担任が急に学校に来なくなった。
数日経った。その代わりは図工や家庭科の先生がきたけれど、面白くなかった。
3日経った日に、授業中だったが、男子が一人ずつ呼ばれた。
俺は最後の方で、雄一に「何聞かれたの?」と聞くと
担任に性器を触られたりしなかったかとのことだった。
俺は教頭や校長がいたが、「勉強は教えてもらったけれど、そんなことはない」
と言った。
クラスは大騒ぎになった。
担任はフランクだから、男子に対しては同じように接していたし、他の子には
触ったりはしていなかった。
が、裕也というやつがウソを母親に言ったのだ。
俺も見ていたが、体操着の白短パンが6年になってきつくなっているのが
多かったから、(俺もそうだけど)「もっこりするから気をつけろよ」
といったくらいなのだ。
それと、担任の家に俺だけでなく、雄一や大介、女子も時々遊びにいっていたこと
も、面白くなかったようだ。
俺は担任が好きだったし、教師としてあるまじき行為かもしれないが、ウソを
飲み込んだ学校も嫌になった。
2学期の終わり頃、担任が辞めたことを知った。
休み始めた時、何度も担任のマンションまでいった。
学校では「行ってはいけない」と言われていた。
でも、下からだけ見ていた。ある日、洗濯物が干してあった。
懐かしいブリーフが見えた。涙が出てきた。
辞める前に、引っ越しをしたのか、マンションのポストから名前が
なくなっていた。
俺はショックで学校に行かなくなった。
担任教師5
- by 和馬 at 5月6日(木)18時27分
- Number:0506182527 Length:1403 bytes
担任と何度も会いたいと思っていた。
3学期になったが、俺は学校に行く気がしなかった。
雄一が手紙を持って来てくれたときは、家でゲームをしたりしたが
俺の心は空虚だった。
冬休みになって5年の時のことをよく思い出していた。
悲しい気持ちと性欲が葛藤していたような気がする。
3学期になって学校にいったが、クラスも荒れ楽しくなかった。
結局、卒業式には出なかった。
中学になったら、雄一や大介が3年間同じだったので、なんとか学校には行けた。
雄一は俺のことを心配してくれて、俺も担任とのことを中1の夏に告白した。
雄一は性的なことはなかったが、担任が好きだったと言った。
それが、俺の心を癒したのかもしれない。
高校もなんとなく過ごしてしまった。
もっぱら女には興味はないし、人付き合いも下手できてしまった。
大学を出て、仕事をするようになって、大分たってから、ターミナルの駅ですれ違った
人に目が釘付けになった。
担任だった。
40も過ぎていたが、昔とは変わらなかった。
俺が誰だか初めわからなかったが、「和馬か・・・会いたかったよ」と
言われた。
嬉しかった。
お茶でも・・・と言われ、喫茶店にいった。
他の所で教師をしていることやあの事件のことも話してくれた。
俺もあの時から今までを全部話した。
やっぱ担任をおれは今でも好きなんだ。とその時気づいた。
俺ももう成人しているんだし!と思い、飲みに行きそのままシティホテルへ。。
昔と担任は変わらなかった。
会えてよかった。
俺も何人とも交わったが、少年の時のイメージが強すぎて
感じたことはなかった。
しかし、担任とは今もつきあっている。
気持ちは小学校の時と変わらない。